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石神井公園で「照姫伝説」パネル展 明治期の紙面初展示も

明治期の新聞小説「照日の松」の作者・遅塚麗水さん

明治期の新聞小説「照日の松」の作者・遅塚麗水さん

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 練馬区立石神井公園ふるさと文化館(練馬区石神井町5)のギャラリースペースで4月20日~23日、パネル展「照姫伝説エキシビション」が開かれた。企画は練馬区の地域振興を手掛ける任意団体「ちいくタイム」。

ギャラリースペースでのパネル展示の様子

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 同23日に石神井公園で開かれた「照姫まつり」にあわせて企画した同展。関東の中世史に詳しい郷土史家の葛城明彦さん監修による「照姫伝説」の史実と石神井公園のまちおこしに関するパネル展示のほか、祭り当日にはスマホを使ったデジタルウオークラリーイベントを実施した。

 照姫伝説とは、室町時代にあたる1477(文明9)年4月、石神井城が太田道灌(どうかん)によって攻め落とされた際、城主の豊島泰経が黄金の鞍を着けた馬に跨(またが)ったまま城下の三宝寺池に身投げし、娘の照姫も後を追って入水(じゅすい)し命を絶ったとされ、これを憐(あわ)れんだ道灌が池のほとりに供養塚を作ったという地域伝承に由来する。

 同団体代表・小泉友威(ともたけ)さんによると、「史実としては泰経公に照姫という娘がいた記録はない。1896(明治29)年、作家・遅塚麗水(ちづかれいすい)が、三宝寺池北側にあった塚を見て、石神井城落城にまつわる姫君の悲話を思いつき制作した小説『照日の松』が、史実と混同されて伝説の基になった」という。

 「小説が都新聞で連載された際、三宝寺池で黄金の鞍を探す騒動が起きたり、泰経公の末裔(まつえい)を名乗る人物が現れ現在の姫塚と殿塚をこしらえたり、明らかに小説の影響を受けたと思われる史跡や伝承が生まれた」とも。

 同展では、葛城さんの研究による姫塚の正体や、石神井村の村長を務めた栗原家による観光地開発の歴史などが解説されたほか、同作が掲載された紙面の一部と遅塚麗水の晩年の写真も初公開された。

 同団体では今後、今回展示した内容のほか、明治期に活躍した浮世絵師・富岡永洗(えいせん)による挿絵入りの同作全話分の掲載紙面、葛城さんの研究をまとめた冊子を特典にしたクラウドファンディング企画を実施する予定。

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