石神井公園ふるさと文化館(練馬区石神井町5)で2月17日、ヴィジュアリストの手塚眞さんが「アトムがアニメになった日」と題した講演を行った。
同館で現在開催中の特別展「鉄腕アトム放送50周年記念 アトムが飛んだ日」の関連イベントとして行われた同講演。事前抽選で当たった100人が聴講した。
手塚眞さんは1961(昭和36)年東京生まれ。映画、小説などの制作に関わるクリエーターとして活躍。冒頭のあいさつでは、「ヴィジュアリストの肩書をつけているが、皆さんにとっては手塚治虫の息子としての方が有名かと…」と会場の笑いを誘った。
講演は、治虫さんのエピソードや人柄、漫画「鉄腕アトム」の誕生の経緯、アニメ化の経緯のほか、セル画アニメを作る方法、アニメの海外ビジネス、父親との思い出などについて話した。
練馬に居を構えた理由については、「本人に聞いて確認したことはないが、父が育った阪急宝塚沿線と西武池袋沿線が似ているからでは」と眞さん。「それは偶然ではなく、阪急グループの創業者、小林一三さんの哲学を参考に西武沿線が開発されている。練馬でアニメ、漫画の文化が目立っているが、その原点は先鋭的な文化を生み出した宝塚文化に影響されているかもしれない」とも。
同作が与えた影響力については、「アニメ制作のスタイルを確立しただけでなく、近年のロボット開発などの産業、ハリウッド映画にも多大な影響を与えている。50年前の1月1日、練馬で誕生したアニメが日本の文化のターニングポイントになったのかもしれない」と話す。
最後に父親との思い出を語った眞さん。父親を「やさしい天才」と表現し、多忙だった治虫さんとは「1週間で2、3分話せればいい方だった。28年間ともに生きてきたが、顔を見て話した時間は実質2、3年ないのでは」と振り返る。「それでも家族を気に掛けて家族旅行に一緒に行こうと考えてくれたことがうれしかった」とも。
手塚治虫さんの代表作「鉄腕アトム」のテレビアニメ放送開始から50周年を記念し開催する同展。原作漫画の直筆原稿やセル画などの貴重な資料約120点を展示するほか、鉄腕アトム第1話「アトム誕生の巻」も上映する。
開館時間は9時~18時。月曜休館(祝日の場合は火曜休館)。観覧料は一般300円ほか。3月24日まで。